用語集GLOSSARY
ビザンティン建築
東ローマ帝国(ビザンツ帝国、ビザンティン帝国)の勢力下で興った建築様式である。4世紀頃には帝国の特恵宗教であるキリスト教の儀礼空間を形成し、その いくつかは大幅な補修を受けているものの今日においても正教会の聖堂、あるいはイスラム教のモスクとして利用されている。日本では、ビザンツ建築と呼ばれ る場合もある。
ロココ建築
主に宮廷建築で用いられた後期バロック建築の傾向を指すもので、独立した建築様式ではない。室内装飾に特徴がある。ヨーロッパのバロック建築最盛期の後、18世紀フランスに始まり、各国に伝わった。
ロマネスク建築
中世西ヨーロッパの建築様式である。時代区分としては、おおよそ1000年から1200年頃までのゴシック建築以前の建築を指す。最初のヨーロッパ建築と 言っても過言ではない。同時代のビザンティン建築と同じく、教会堂建築において最高の知識・技術・芸術が集約されており、彫刻や絵画は聖堂を装飾するため の副次的要素であった。ロマネスクという言葉は、美術史・建築史において、19世紀以降使われるようになった用語である。直訳すると「ローマ風の」という 意味であるが、当初は「堕落し粗野になったローマ風の様式」という蔑称としての側面が強く、その芸術的・建築的価値が評価されるようになるのは20世紀に なってからである。
モダニズム建築
19世紀以前の様式建築を批判し、市民革命と産業革命以降の社会の現実に合った建築をつくろうとする近代建築運動により生まれた建築様式。新しい建築を求 めて各国でさまざまな試行錯誤が繰り返され、国を超えて大きな運動になっていった。モダニズム建築(近代主義建築)は、普遍性・国際性を主張するが、いう までもなくその表現には幅があり、「まったく同じ様式が世界中に普及した」訳ではない。モダニズム建築の多くは装飾のない直線的構成を持つ立方体を特徴と し、俗に「豆腐のような」「白い箱」と形容される。機能的・合理的で、地域性や民族性を超えた普遍的なデザインとされた。
ザハ・ハディド建築
ロシア構成主義の建築や美術の強い影響を受け、コンセプチュアルで空想的なものを現実空間に出現させ、見学・利用者に驚きを与えている。かつては、同じく 脱構築主義者であるダニエル・リベスキンド同様に、実際の建築作品ではなく、建築思想の提唱者として、また過激なコンセプトを示した図面の製作者として もっぱら知られていた。無数の道路やパイプのようなラインがゆるやかに折れ曲がり交差し重なり合いながら高速で流れるイメージや巨大な有機体状の構造物な どを描いたドローイングを特徴とする。
THE WORLD ARCHITECTURE
プラハ - オルロイ
設計者 - ミクラシュ - ヤン・シンデル
建築様式 - ゴシック建築
チェコの観光名所として名高い、プラハのオルロイ。月と太陽の位置などを示すための文字盤、使徒の行進と呼ばれる人形仕掛け、月々を表す浮き彫りの暦版にて構成されている。最も古い部分は時計の機構と天文図の文字盤で1410年に製作された。その後、1500年までの間に暦表盤の追加、時計本体へのゴシック彫刻が施されたと言われている。時計は幾度となく動きを止めたが、その度に修復修理され、1865年から1866年の大修復のあと使徒の像が付け足された。時計の横側に配置4つの彫像は一定の時間になると動き出し、死神が鐘を慣らし、それに合わせて時計の上部の窓から12使徒像が現れる。こ1355年に神聖ローマ皇帝カール4世によりプラハが神聖ローマ帝国の首都と宣言され、時計が設置されている建物は国家の役所なった。その後1945年5月8日にドイツ軍とプラハ市民蜂起軍の戦いにより爆破されるまで、市役所として機能していた。