用語集GLOSSARY
ドーリア式
古代ギリシア建築における建築様式のひとつ。柱の頭部分に鉢型の装飾を持たない様式とされ、その基となった木造建築の様式をとどめているとされている。
イオニア式
古代ギリシア建築における建築様式のひとつ。現在のトルコの一部と言われているイオニア人が植民した地方で誕生し紀元前5世紀ごろからギリシアでも用いられるようになったとされている様式。
コリント式
古代ギリシア建築における建築様式のひとつ。ギリシア起源をもつ建築様式だが、ギリシア建築に用いられた例はほとんどない。古代ギリシアの都市国家コリントスに由来する。
ローマ帝政期
ローマ帝国、帝政ローマとも呼ばれている。ローマ帝政期は、オクタウィアヌスが尊厳者を意味するアウグストゥスを得て、初代ローマ皇帝となった時点からを始まりとしている。一般的に紀元前27年から始まり西ローマ帝国が滅亡する476年までの古代ローマを指す。
テムズ川
ロンドンと海をつないでる川。三角江の形成する代表的な川。ケルト系の言語に由来し、暗黒色の川を意味するThamesからその名が付けられたという説が ある。ユリウス・カエサルが書き残したガリア戦記内でも、ケルト民族の例に倣い、テムズと呼んでいる事が記されている。歩いて渡れないほどの広い下流の岸 に作られた集落を、ケルト民族の言葉で沼地の砦を意味するロンドニウムと呼び、現在のロンドンの原型となっている。
THE WORLD ARCHITECTURE
プラハ - オルロイ
設計者 - ミクラシュ - ヤン・シンデル
建築様式 - ゴシック建築
チェコの観光名所として名高い、プラハのオルロイ。月と太陽の位置などを示すための文字盤、使徒の行進と呼ばれる人形仕掛け、月々を表す浮き彫りの暦版にて構成されている。最も古い部分は時計の機構と天文図の文字盤で1410年に製作された。その後、1500年までの間に暦表盤の追加、時計本体へのゴシック彫刻が施されたと言われている。時計は幾度となく動きを止めたが、その度に修復修理され、1865年から1866年の大修復のあと使徒の像が付け足された。時計の横側に配置4つの彫像は一定の時間になると動き出し、死神が鐘を慣らし、それに合わせて時計の上部の窓から12使徒像が現れる。こ1355年に神聖ローマ皇帝カール4世によりプラハが神聖ローマ帝国の首都と宣言され、時計が設置されている建物は国家の役所なった。その後1945年5月8日にドイツ軍とプラハ市民蜂起軍の戦いにより爆破されるまで、市役所として機能していた。